60stars astrology 日本語版
60スター西洋占星術 シーズン7
By Tokyo-Tanuki
165 60スター西洋占星術シーズン7 先駆者のホロスコープを見よう
2 化学者 マリー・キュリーさん
1. さて、今日はマリー・キュリーさんのホロスコープを検討します。
ここではご本人が自分でおっしゃっていた"キュリー夫人"と呼びます。
キュリー夫人のネイタルチャートを見ると、さそり座にある太陽とうお座の月がトラインです。
太陽とほぼスクエアの位置(水瓶座)にアセンダントがあります。
60スター西洋占星術では、太陽は水瓶座に入ったばかりのところにあるので、簡単にいうと、この方はみずがめ座(☉・ASC)の影響が強く、とても合理的精神にあふれ、また、従来の因習に囚われない人であることがわかります。
2. ところでキュリー夫人の生まれた頃(1867年11/7生まれ)は、女性が学者や研究者になるという世の中ではありませんでした。
キュリー夫人も1883年にギムナジウムを優秀な成績で卒業しますが、大学に行くという話はなく、しばらくは家でのんびりしたり、家庭教師をしたりして過ごしています。
家庭教師をするうちに当時ワルシャワ大学の学生さん(のちに高名な学者さんになります)だった男性と恋に落ちます。
しかし周囲に反対され、二人で駆け落ちを決めますが、1891年9月、土壇場で男性が優柔不断となり、恋は終わります。
このときの彼女のプログレッションの太陽は、
4.19×23.8+♏14.5=114.2度、つまり、水瓶座24度付近にあり、ネイタルの土星とスクエアになります。これは大失恋です。
(図2)
4.19×23.8+♏14.5=114.2度、つまり、水瓶座24度付近にあり、ネイタルの土星とスクエアになります。これは大失恋です。
(図2)
3. その後、彼女は家に帰らずパリに出て、ソルボンヌ大学で学びます。
そこで研究者である夫のピエールさんと知り合い、1895年に結婚し、二人で研究を続けつつ翌年にテーマ、つまり後に大偉業を達成する放射線というテーマを決めます。
2年後には赤ちゃんも生まれ、その翌年は科学アカデミーに研究成果を報告するという、家事と生活と研究に追われる大忙しの状態になります。
このころは、彼女のプログレッションの太陽はうお座を進行していて、シリウスのトライン、ネイタルの太陽のトライン、ネイタルの月のコンジャンクションと、連続して強くて良い運に恵まれています。
4. そして、1898年の4月と12月に、夫婦はポロニウムとラジウムを発見します。一気に国際的に学者としての注目を集めます。
この31歳のときの彼女のプログレッションの太陽は、
4.28×31+♏14.5≒145度、つまり、うお座の25度で、さそり座にあるネイタルの土星とトラインです。
(図3)
4. そして、1898年の4月と12月に、夫婦はポロニウムとラジウムを発見します。一気に国際的に学者としての注目を集めます。
この31歳のときの彼女のプログレッションの太陽は、
4.28×31+♏14.5≒145度、つまり、うお座の25度で、さそり座にあるネイタルの土星とトラインです。
(図3)
5. その後、夫妻はノーベル賞を受賞しますが、1906年にピエールさんが事故死し(土星のセミセクステル)、キュリー夫人は、重責を担いつつ、女性初の大学教授になります。
その後、前年から続く女性初のフランス科学アカデミー会員の選挙と、ある研究者の男性との交際のスキャンダルのさなか、キュリー夫人は1911年11月に再びノーベル賞を取ります。
このときの彼女のプログレッションの太陽は、
4.19×44+♏14.5≒198度、すなわち、おうし座の18度にあります。
太陽のオッポジションから続いて月のセクステルがめぐり、毀誉褒貶の嵐が吹いていますね。
さすが、伝統に縛られない水瓶座さんです。
(図4)
6. まあ、その後はいろいろありますが、すでに彼女は国際的に有名な大科学者になっていたので、なんとかなります。
しかし、彼女は、放射性物質が体に悪いことを知らず(というより、信じられないと思い)、放射性物質を防御なしで研究することもしばしばあったため、最後はほぼ失明し、体もとても不自由になって亡くなります。
7. 政治家のホロスコープでは男性を紹介することが多かったのですが、ダイアナ妃やキュリー夫人を見れば分かるように、女性の能力が劣るということは、全くありません。
これから先、たくさんの優秀な女性が世の中に出ていくことは間違いないのです。
今日はここまで
Tanu-chan💓 Tokyo-Tanuki💛
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