60stars astrology
By Tokyo-Tanuki
60スター西洋占星術 シーズン6
日本語版
121 未来予測の方法を知ろう シーズン6の3 西欧編 メッテルニヒその3
1. さて、メッテルニッヒさん(V=3.75)の続きですよ!
メッテルニッヒさんは、ウイーン会議からずっとヨーロッパ各国の調整にがんばってきましたが、1830年7月
ついに均衡が崩れ、7月革命が起きます。
メッテルニッヒさんは、ウイーン会議からずっとヨーロッパ各国の調整にがんばってきましたが、1830年7月
ついに均衡が崩れ、7月革命が起きます。
このとき、「私の一生の仕事が台無しになった」と彼が言ったのは有名です。
メッテルニッヒさんの太陽は、次のやぎ座に進行します。
やぎ座時代は、メッテルニッヒさんは土星のトライン、太陽のトライン(図1 1837年)を受けるので、他国はともかく、外交交渉を通じて、母国オーストリアは、わりあい平穏にすぎます。
(図1)
心配していたフェルナンド1世の皇位承継(1835)もうまくゆき、宰相のまま、かなり平穏な時が過ぎました。
ウイーンの文化の最盛期は次のフランツ・ヨーゼフ1世のときですが、これは、メッテルニッヒさんの統治が平和で、文化の基礎が発達したのが原因ですね。
2.しかし、その間にも時代は動いていました。1839年のエジプト=オスマン戦争から欧州列強の足並みは乱れ始めました。
しかし、高齢となっていたメッテルニッヒさんのやり方は徐々に時代に遅れとなり、1848年2月、ついにオーストリアにも二月革命の炎が及びます。
しかし、高齢となっていたメッテルニッヒさんのやり方は徐々に時代に遅れとなり、1848年2月、ついにオーストリアにも二月革命の炎が及びます。
4.帰国後は、国王の相談に応じたり、若い政治家多数から意見を求められました。こうして、1859年86歳の時、亡くなりました。(アセンダントのオッポジション 図4)
メッテルニッヒさんは、軍を動かす(人を殺す)ことがあまりなく、いつも交渉や約束でピンチをしのぎ、チャンスを広げるタイプのとても平和的な政治家だったと言えるでしょう。
だからこそ、失脚後も故郷に帰ることができ、最後は、故郷の皆に惜しまれつつ送られたのです。
さて、今日はここまで
このあとは、ドイツのゲッペルスさんとイタリアのムッソリーニさんを紹介してゆきます
Tanu-chan💓 TOKYO-TANUKI💛
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