60stars astrology
By Tokyo-Tanuki
60スター西洋占星術 シーズン6
日本語版
151 60スター西洋占星術 シーズン6の付録6 Ptについての説明②
毛沢東と鄧小平を具体例にして
1. さて、Ptが拮抗する場合どうなるか、を中国の二人の権力者を例にとってみましょう。
鄧小平大王はV=2.5ですが、毛沢東さんも、まあ、王と言ってよい数字です(V=3.0)
そこで、両者の年齢差とPTの関係を見て行きます。
2. 毛沢東さんは1893年生まれ、鄧小平さんは1904年生まれで、年齢が11歳くらい違います。
鄧小平大王が中央の総書記に就任した時、つまり、劉少奇-鄧小平体制になった時をみると
1956年の年末時点では、
毛沢東さんは63歳なので
Pt=63/120くらいですから、だいたい0.525ですね。
鄧小平大王は、52.4歳くらいなので、
Pt=52.4/104.8=0.499です。
この時点では、両者ともに0.7の二乗(0.49)を超えていますが、やや(0.0251)毛沢東さんが上ですね。
毛沢東>鄧小平
3. それでは、文化大革命発動の時(1966年)を見てみましょう。
その年末時点では、
毛沢東さんは73歳なので
Pt=73/120=0.608くらいです。
一方、鄧小平大王は、64.3歳くらいなので
Pt=64.3/104.8=0.6135
でほんのわずかに(0.0055)毛さんを上回っています。
鄧小平≧毛沢東
毛沢東さんは、たくさんの人、仲間を殺してきたので、仲間を信じられません。
1959年に引退状態に追い込まれた後、自分が殺されるという恐怖に追われていたのです。
そこで、実務派である反対派(劉少奇さん)ラインを失脚させるために仕掛けたのが文化大革命です。
しかし、毛さんは、鄧小平大王がめちゃくちゃ強いことを知っており、大王には、自分の方に参加するよう何度もこっそり呼び掛けています。
しかし、実務派の鄧小平大王は悩みます。
4. もし、鄧小平大王が毛沢東につき、劉少奇さんのみを失脚させれば、こんな大混乱にならなかった可能性があります。
しかし、鄧小平大王は毛沢東にはつかなかった。
毛沢東には正義がないとみたのです。
そこで、重量級の争いとなり、国家が荒れたのです(文化大革命)。
また、ここで、かりに、鄧小平大王が国家を割り、軍を率いたらどうなっていたでしょうか。
鄧小平大王は西南軍を持っています。
毛沢東は、偉大なリーダーの一人、やはり王のクラスである林彪さんを味方につけて、精強部隊の東北軍を持っていますが、内戦になれば、二つの勢力の実力は伯仲したでしょう。
この3人とも、文化大革命のとき、Ptは(0.7)の二乗 を超えています。
林彪さんは、毛沢東・鄧小平よりまだちょっと下ですが、なんと、第二次大戦終了時のヒトラーよりPtが上です。
1966年末の時点では、林彪さんのPtは、
Pt=59/118.8=0.496
です。とても大きくなっています。
このような、ヒトラーを超える超重量級の三者の戦いになれば、おそらく、10年以上の内戦の後、鄧小平大王が勝利したと思われます。
5. 鄧小平大王は、国共内戦の悲惨な第一線にいたため、二度と自民族が割れて争うことがないよう、また、外国の干渉を招かないよう、簡単に言えば、死を覚悟して自ら失脚を選んだのですね。
この決断が正しかったことは、歴史が証明しています。
しかし、文化大革命の餌食になった人たちには、悲惨な人生が待っていました。
心ならずも毛沢東に味方した林彪さんにも、悲劇的な最期が待っていました。
6. さて、Ptが拮抗し、かつ、これが相争う場合にどうなるか、はこんな感じで読みます。
興味を持ったひとは、毛沢東さんと蔣介石さんの関係でもPtを見てみると面白いですよ!
それでは今日はここまで
次回からロシア・東欧編です。
第一回目は、L.ブレジネフさんです!
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