60stars astrology
By Tokyo-Tanuki
60スター西洋占星術 シーズン6
日本語版
154 未来予測の方法を知ろう
60スター西洋占星術シーズン6の9
ロシア・東欧編 スターリン①
1. さて、ついに、シーズン6の最後の最後になりました。
たぬちゃん悩んだのですけどね。スターリンさんとレーニンさん、どちらにするか。
トロツキーさんには興味ないんですけどね。
でも、レーニンさんは、前に天体の説明のところで少しプログレッションについて説明したので、それをヒントにすれば、読めると思います。
なので、最後は、20世紀の最大級の王の一人、あの大王F.D.Rと世界を東西に分けた人、スターリン大王にします。
スターリン大王はV=2.40という驚異的な数字です。
2. スターリン大王は、1979年12月18日、グルジアで貧しい家庭に生まれます。
出生時のホロスコープを見ればわかるように、太陽はいて座の27度で60スター西洋占星術のしし座、月は天秤の13度でかに座に入ります。
ネイタルの太陽は、うお座の土星とスクエア、てんびん座のアルクトゥルスのセクステル、いて座の金星のコンジャンクション、さそり座の火星とセミセクステルです。
これは、軍事的才能に恵まれるも、戦いは常に困難を伴うことを示します。
ただし、太陽が凶角の時は、基本的に土星が悪くなく、逆に土星が悪いときは太陽が悪くありません。したがって、沈みそうで沈まない、ピンチに強い人生となります。
ただ一か所、ふたご座の後半を除けば。
3. スターリンはお父さんが酒乱だったのでお母さんと早くに家を出て転々としていましたが、1884年に天然痘にかかり、顔に跡がのこりました(ネイタルの月のスクエア)。
1986年にお母さんの友人である神父さんの家にお世話になり、頭がとてもよかったスターリンは、神父さんの勧めもあって、また、信仰の篤いお母さんの希望もあり、1888年9月に神学校に進学します。
成績はとてもよく、詩や絵画などの芸術、合唱などで大変活躍していたのですが、12歳の時に馬車に衝突されて重傷を負い、生涯にわたる左腕の障害を負います。
この時のスターリン大王のプログレションの太陽は、
12×2.40+♐27°≒56°で、やぎ座の26度付近です。
つまり、ネイタルの太陽のセミセクステル、アルクトゥルスのスクエアで、大けがを示します。
ただし、火星と土星のセクステルのおかげで、死ぬことは免れました。
4. スターリンはその後、1894年にティフリスの神学校に進学し、司祭として修業しているものの中でも優秀な成績を上げますが、マルクス主義に賛同し、1899年4月に神学校を去ります。
それからは革命活動に従事し大規模なデモやストライキを組織しますが、1903年10月に刑期3年のシベリア流刑となります。二度逃走を企て、一度はひどい凍傷で断念したものの、厳冬の1904年に脱走してチフリスに行き、グルジアの共産主義組織に戻り、あっという間に現地組織を分裂させ、レーニンのボルシェビキを支持します。
この24歳ころのスターリンのプログレッションの太陽は、
25×2.40+♐27°≒87°すなわち、みずがめ座の27°付近であり、火星がスクエア、太陽がセクステル、土星がセミセクステル、アルクトゥルスのトラインと、強烈なエネルギーを発しています。
厳寒のシベリアを冬に脱走するなど、なみの神経ではないですし、その後の活動力もすごいですね。
5. 1905年、ロシアで第一革命がはじまります。スターリンのプログレッションの太陽はうお座に入ります。
5. 1905年、ロシアで第一革命がはじまります。スターリンのプログレッションの太陽はうお座に入ります。
このうお座の環境は、あまりよくはありません(図1参照。)。
レーニンに初めて面会したのもこのころです。
また、スターリンは結婚もします(1906年)。しかし妻は翌年亡くなります(1907年11月)。
"彼女の死で私の中に少し残っていた人間らしい心は失われた。"
というスターリンの言葉は、なんとなく、その当時のスターリンの心情を推測させるものです。
そこから、スターリンは、銀行強盗や、みかじめ料の徴収、身代金目的誘拐、スパイの殺害など、ボルシェビキの資金集めのため、手段を全く択ばなくなります。
その後、スターリンは逮捕を何度もされますが、何度も脱走し、これを1912年まで繰り返します。
6. 1912年1月、レーニンはスターリンを中央委員会委員とし、また、" プラウダ "を創刊させます。
同年5月にスターリンはまたも逮捕されますが、脱走し、1913年3月~5月にはじめてスターリンという名前で記事を発表します。
この時のスターリンのプログレッションの太陽は、
34.5歳×2.40+♐27°≒110° つまりうお座の20度付近にあります。
鉄を支配する星、バルカンが巡り、まさに鋼鉄の人としてその名を世間に知らしめたのです。
7. スターリンは、1914年8月、脱走の恐れがないシベリアの奥の奥の土地、北極圏の村に4年間の刑期で収容(流刑)されました。
34.5歳×2.40+♐27°≒110° つまりうお座の20度付近にあります。
鉄を支配する星、バルカンが巡り、まさに鋼鉄の人としてその名を世間に知らしめたのです。
7. スターリンは、1914年8月、脱走の恐れがないシベリアの奥の奥の土地、北極圏の村に4年間の刑期で収容(流刑)されました。
さすがに、逃げようがなく、スターリンは釣りなどをして生活します。
ところで、プログレッションがうお座の時代の趣味は、なぜか釣りになることが多いのです。
8. ツングース族の中でのんびり生活していたところ、第一次世界大戦が勃発し、1916年10月にスターリンは政府から徴兵の通知を受け、都市部に移動します。
このときのスターリンのプログレッションの太陽は、
37.9×2.40+♐27°≒117°
37.9×2.40+♐27°≒117°
つまりうお座の27度で、火星のトライン、土星のコンジャンクション、太陽のスクエア、アルクトゥルスのセミセクステルです。
若いころの障害が兵役にマイナスとなり、不合格とされ、都市部でそのまま流刑の残りの期間について滞在を続けることを認められます。
9. たぬちゃん思うんですね。もし、この時、ロシア帝国政府がスターリンを徴兵しなければ、スターリンはシベリヤにいたままで革命に参加するのが遅れ、その間にスターリンの席は無くなっていたかもしれないと。
運命とは恐ろしいものです。
いや、これが、大王スターリンの運命だったのでしょう。
長くなったので、今日はここまで。
Tanu-chan💓 TOKYO-TANUKI💛
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