60stars astrology
By Tokyo-Tanuki
60スター西洋占星術 シーズン6
日本語版
149 未来予測の方法を知ろう
60スター西洋占星術シーズン6の8
中国編 林彪
1. さて、今日は、中国革命の偉大な立役者、天才将軍の林彪さんです。
いろいろ悪く書かれてますが、林彪さんなくして革命の成功は困難だったでしょう。
林彪さんは、なんと、V=2.96です。出生図は図1のとおりです。
太陽と月はいて座♐に、土星はうお座♓にあります。60スター西洋占星術では、太陽はおうし座♉、月は牡羊座♈で、毛沢東との性格の相性は良いのです。
2. 林彪さんは1907年12月5日に富裕な商人の家に生まれましたが、生家はほどなく没落します。
1925年には17歳で黄埔陸軍士官学校に入学します。
そして1927年には南昌蜂起に参加し(太陽のセクステル 木星のオッポジション)、翌年、毛沢東らに合流し、すぐに頭角を現して上級野戦指揮官になります。もっとも攻撃力ある部隊を率いました。
エドガー・スノウの本("中国の赤い星")にも林彪さんの軍事的天才ぶりが示されています。
3. ところが、1938年山西省での戦闘で日本兵の撃った弾が林彪さんの頭に当たり、落馬して重傷を負います。
この時のプログレッションの太陽は、
30.5×2.96+♐12°=102.2°(図2)
つまりうお座の12度で、ネイタルの太陽とスクエアです。
30.5×2.96+♐12°=102.2°(図2)
つまりうお座の12度で、ネイタルの太陽とスクエアです。
林彪さんはさらに結核にもかかり、療養もかねてモスクワに行きます。
4. しかし、モスクワでは、戦場とは違う危険がたくさんありました。1940年ころ林彪さんはアヘン中毒になります。また、妻を交えて女性関係も大いに乱れます。
このころ(33歳)の林彪さんのプログレッションの太陽は、
33×2.96+♐12°=109.6° つまり、うお座19.6度で、土星のコンジャンクションです。
土星は結婚を意味しますが、ある意味結婚相手がたくさん出てきて混乱が生じたのです。
5. 結局、1943年に林彪さんは葉群さんと結婚し、プログレッションの太陽は牡羊座♈に入ります。
ながらく前線にいなかったものの、1945年ころより戦線に復帰し東北軍を指揮します。
1945年末には30万人近い兵力を要する軍団を指揮し、1947年からの三大戦役を指揮します。
1945年末には30万人近い兵力を要する軍団を指揮し、1947年からの三大戦役を指揮します。
そして、1948年末までに東北部の国民党を壊滅させ、49年1月には天津を制圧し、春には揚子江渡河作戦を成功させます。
このころの林彪さんのプログレッションの太陽は、
41歳×2.96+♐12°=133.3°付近にあり、ネイタルの太陽・木星とトラインです。
41歳×2.96+♐12°=133.3°付近にあり、ネイタルの太陽・木星とトラインです。
6. 紅軍は1949年末までに国民党軍の全拠点を占領し、中華人民共和国が成立します。
しかし、ここで、林彪さんは精神の変調から朝鮮戦争の指揮官を辞退し、モスクワで治療を受けます。
軍人としては元帥として処遇されましたが(1955)、政治的な活動はあまりできませんでした。
もともと政治的な方面は、あまりうまくなかったんでしょうね。
もともと政治的な方面は、あまりうまくなかったんでしょうね。
7. 大躍進政策の失敗を批判した彭徳懐将軍が失脚すると(1959)、毛沢東は忠実な林彪将軍を活用し始め、関係を深めます。(土星のセクステル)。
プログレッションの太陽がふたご座に入ると、林彪さんは明らかに毛沢東に取り入れられた形になります。
でもね、どう考えても、林彪さんは喜んでないですね。
1966年8月、文化大革命がはじまると、林彪さんは毛沢東に連れまわされ、事実上、ナンバー2のように見られるようになります。確かに、全国的に有名にはなります。1968年には劉少奇さんがなくなり、後継者に指名されます。
この時の林彪さんのプログレッションの太陽は、
59.8×2.96+♐12= 189°
つまり、ふたご座の9度にあり、月のオッポジッションです。
これは、有名になってきてはいますが、うれしくはありません。むしろ悲しいですね。
林彪さんは10歳上の劉少奇さんの清潔な人格を尊敬しており、これを失脚させるのは嫌だったのです。
8. 林彪さんは毛沢東のうるさい妻(江青女史)との関係も悪化し(1968年)、ソ連との関係をめぐり周恩来とも対立します。
しかし、党内の位だけは上がってゆきます。(太陽のオッポジション)
これは、林彪さんのような性格の人にはとてもつらかっただろうと思われます。
しかし、林彪さんは、ついに、毛沢東との関係を断つことを決め、クーデターを計画します。
(1971年9月)。
(1971年9月)。
しかし、すぐに露見し、逃亡中の飛行機が墜落し、林彪さんは亡くなります。
このときの林彪さんのプログレッションの太陽は、
63.7×2.96+♐12=200.5°
つまり、ふたご座20度にあり、ネイタルの土星がスクエアになっています。
このときの林彪さんのプログレッションの太陽は、
63.7×2.96+♐12=200.5°
つまり、ふたご座20度にあり、ネイタルの土星がスクエアになっています。
9. 林彪さんは、毛沢東に向けられるべき批判を一身に受け、現在も正しい評価がされていませんが、いずれ、生きている関係者がいなくなれば、名誉は回復されるでしょう。
クーデター計画とされる571工程紀要において、林彪さんが、
"毛沢東は真のマルクス・レーニン主義者ではなく、孔孟の道を行う者であり、マルクス・レーニン主義の衣を借りて秦の始皇帝の法を行う、中国史上最大の封建的暴君である。"
と毛沢東を批判したのは、概ね、正しい指摘でした。
ただし、暴君でなければ、中国を、欧米の植民地支配や、日本の進出から守ることができなかったことも、事実なのです。
林彪さんは、徹底的に政治家に向いてなかったのです。
今日はここまで
Tanu-chan💓 TOKYO-TANUKI💛
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