60stars astrology
By Tokyo-Tanuki
60スター西洋占星術 シーズン6
日本語版
147 未来予測の方法を知ろう
60スター西洋占星術シーズン6の8 中国編
鄧小平その2
1. さて鄧小平大王の続きですよ。
鄧小平さんは、その後も累進し、1956年9月にはなんと52歳で総書記となり(財務部長兼任)、そして党内順位も6位となります。
このときの鄧小平さんのプログレッションの太陽は
52.2×2.5+♌28°=158.5°
つまり、やぎ座の8.5°となり、シリウスのオッポジション、ASCのセクステル、金星のトラインになります。
年は若いのですが、既に鄧小平さんのPtは0.5を超えており(>0.7の二乗)、重量級に達していたので、別に問題はなかったのでした。
(図1)
2. その後は中ソ論争などで名を上げ、劉少奇・鄧小平ラインで国家建設に邁進します。
しかし、1959年の大躍進政策の失敗により半ば隠棲状態にあった毛沢東が、権力奪取のために発動した文化大革命(1966年)が、いきなり国を覆います。
1966年5月、ついに、鄧小平を走資派№2と名指しした文革派による批判が始まります。
このときの鄧小平のプログレッションの太陽は、
61.7×2.5+♌28°=182°
太陽はハードなみずがめ座に入り、火星のオッポジションです。鄧小平の驚きが分ります。
(図2)
3. 1968年10月には鄧小平は追放され、トラクター工場で労働改造をさせられます(第2回目の失脚)。
このときの鄧小平の太陽は、
62.3×2.5+♌28°=188.7°つまりみずがめ座の8°~10°の辺りになります。
シリウスの150°、アセンダントのスクエアです。追放先での過酷な作業が見て取れます。
(図3)
4. しかし、1971年9月、転機が訪れます。毛沢東と仲違いをした林彪さんがクーデタ未遂をおこし、なくなったのです。
これには諸説がありますが、林彪さんがいなくなったことは、毛沢東の取り巻き(四人組)の力を増すことになる一方で、毛沢東が、軍ににらみが利かせられる強力な後継者を欠いたことを意味します。
周恩来さんは軍人じゃないですしね。
このときの鄧小平のプログレッションの太陽は、
67.1×2.5+♌28°≓196°つまりみずがめ座の16度あたりで、
土星のコンジャンクション、月の150°です。
(図4)
5. 案の定、政権運営の任せられない取り巻きたち(四人組)に業を煮やした毛沢東は、2年後の1973年、周恩来さんのとりなしによって、鄧小平さんを復活させます(二度目の復活)。
鄧小平は直ぐに中央委員会軍事副主席、解放軍総参謀長となり、諸懸案を解決してゆきます。
しかし、兄貴分の周恩来さんが闘病むなしくガンで死亡し、市民の追悼集会が事件に発展するや(第一次天安門事件)、四人組が鄧小平に狙いを定め、鄧小平を騒乱の首謀者と主張します。
そしてまたも、鄧小平は失脚します(1976年4月)
このときの鄧小平のプログレッションの太陽は、
71.7×2.5+♌28°=207.3° つまりみずがめ座の27°にあって、ネイタルの太陽とオッポジションになります。
(図5)
6. しかし、その年、毛沢東も死亡し、結局、実力者はもはや鄧小平大王しかいなかったので、翌年、四人組は失脚して鄧小平は復活します(三度目の復活)。
こうして鄧小平の太陽はうお座に入り、次々と毛沢東時代の過ちを直してゆきます。
そして、1980年末、腹心である胡耀邦を党の主席につけ、またもう一人の腹心の趙紫陽を首相として、実質的な権力の全面的な掌握を行ないました(アセンダント♏のトライン)
7. ところが、1989年5月、うお座の時代の終わりに近づき、鄧小平がやっと長年の中ソ対立を解消したところ、学生や市民は先走り、西側の宣伝を鵜呑みにしてゴルバチョフのペレストロイカにあこがれ、6月には、中国の民主化を求める第二次天安門事件が起こります。
このときの鄧小平の太陽は、
84.7×2.5+♌28°=239.7° 太陽はネイタルの太陽と150°です。
鄧小平は開放路線の行きすぎ、すなわち、西側の干渉を招いたことを反省して、泣く泣く子飼いの幹部(胡耀邦・趙紫陽)を失脚させます。
(図6)
8. このころ、もはや鄧小平は、大王としてPt=84.7歳/P≓0.81(0.9の二乗)に達していたので、誰も倒すことはできません。
しかし、鄧小平は自らは政治の表舞台に出ないように努め、1997年2月、風邪をこじらせて92歳で世を去ります。
このときの鄧小平さんのプログレッションの太陽は、おひつじ座の19°、月のスクエアにさしかかるところでした。
若いころはこれくらいでは死にませんが、高齢であったため、寿命と言って良いでしょう。
イヤー.........長かったですね。
このVの大きさで、90過ぎても生きていたのは、鄧小平大王くらいではないでしょうか。
100まで生きたあの人も、この大きさにはなっていないですしね。
もはや、この大きさでは、誰も倒せません。
仮に、かたちのうえで倒れても、P.ディアス大王のように、外国で悠々自適でしょう。
🌟 🌟 🌟 🌟
いずれ 中国共産党革命については、その主人公達の評価が適切になされ、鄧小平大王の名は伝説になるでしょう。
今日はここまで。
次回は中国の赤い星、毛沢東さんです。
Tanu-chan💓 TOKYO-TANUKI💛
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