60stars astrology
By Tokyo-Tanuki
60スター西洋占星術 シーズン6
日本語版
144 未来予測の方法を知ろう
60スター西洋占星術 シーズン6-7
インド・東南アジア編 J.ネルー その2
1. さて、ネルー大王はアメリカの対日参戦の翌日に釈放されました(1941年12月)が、また翌1942年夏に逮捕され、政治犯として約3年間アフマドナガル砦に入れられます。
この間、「インドの発見」を著作し(1944)、また、拘置所の外ではジンナーらイスラム連盟の勢力が弱まり、逆に、国民会議派支持の声が高まってゆきます。
1945年6月、ネルー大王は出所し、行動を始めます。
イギリスの思惑、ムスリム動向、様々な対立の中で、1946年に暫定政府の首相となり、翌47年8月に独立インドの首相に就任します。翌1948年1月にガンジーさんが暗殺されますが(太陽はおひつじ座の21°にあり、ネイタルの太陽の150° 図1)、ネルーさんは人生の指導者を失い大いに悲しみます。
しかし、逆に、この悲劇により、インドでは、国民の一体感が生じました。
(図1)
2. このころのネルーさん(58歳)は、Ptが、58/106.6≒0.544( >0.7の二乗)もあります。もはや、すでにアジアの大巨人です。
しかし、身分差別が強く、宗教が対立し、人口が多く、多様な言語や貧困などの問題だらけのインドを率いるのはとても大変でした。
独立時の東西パキスタン分裂(1947)などの後、インドの最初の国政選挙が1952年に行われましたが、ネルー率いる国民会議派は州レベルでも全国でも過半数を占め、ここに新生インドの基盤が定まりました。
このとき(1952年 63歳)の時のネルーさんのプログレッションの太陽は、
63×2.56+♏22°≒183° つまり、おうし3度で、土星のトラインです。
(図2)
3. プログレッションのおうし座時代はネルーさんにとって楽な時期でないことは、ネイタルのホロスコープでも明らかですが、1955年と56年にCIAからのものを含む三回の暗殺未遂がありました(月のスクエア)。
しかし、ネルーさんは過剰な警備を嫌ってこれを行わなかったにもかかわらず、すべての暗殺計画は失敗に終わりました。これは、ある意味、奇跡的です。
天はインドを見捨てなかったのです。
4. ネルー大王が怒ったのは中国のチベット問題についての裏切りです。
それまで中印は非同盟諸国として仲良くやっていて、チベットについてもお互いにいじめないことを約束していたのですが、支配を強める中国にたまりかねたチベット人が反乱を起こし(1959年3月)、民族自治の原則にたつネルー大王は、チベットを支持しました。
両国は1959年8月から散発的な直接接触に入りますが、ダライ=ラマ14世がインドに亡命して亡命チベット政府を建てたことに、中国の毛沢東が激怒します。
両国関係は険悪化し、のちに戦闘は大規模化してゆきますが(1962年)、インドは負けてばかりの苦しい戦いを強いられました。
この1960年初めころの、ネルー大王のプログレッションの太陽は、
70.2×2.56+さそり22°≒201.7° つまり、♉21.7度付近であり、ネルーさんの太陽とオッポジションになります。
(図3)
5. ネルー大王はこの中国の背信的な行為に激しく怒り、怒りすぎて1962年ころから健康を害します。
そして、1964年5月、突然の心臓発作で亡くなります。
140万人が葬儀に参加しました。
この時のネルーさんのプログレッションの太陽は、
74.5歳×2.56+♏22°≒212.7° つまり、ふたご座の2.7°であり、ネイタルの土星のスクエアとなります。
(図4)
6. ネルーさんは大王なのですが、学者というか先生というか、かなり徳の高い方で、理由のない暴力などは一切使いませんでした。
これが、多民族、多言語、多宗教のインドのシンボルの首相として、16年もの間、インドを平和に保った理由でしょう。
現実的とのバランスをとる、偉大かつ平和な魂であり、このような理想的な大王は、まず、なかなか出ないものです。
ネルー大王の誕生日は、今は、インドでは子供の日として祝日になっています。
それでは今日はここまで!
Tanu-chan💓 TOKYO-TANUKI💛
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