60stars astrology
By Tokyo-Tanuki
60スター西洋占星術 シーズン6
日本語版
148 未来予測の方法を知ろう
60スター西洋占星術シーズン6の8
中国編 毛沢東
1. さて、今日は、中華人民共和国の建国の父、人民の赤い太陽、毛沢東さんです。
まず、毛沢東さんのネイタルのホロスコープを見てみましょう。
毛沢東さんは1893年12月26日に湖南省で生まれたとされています。
太陽はやぎ座、月はしし座、アセンダントはふたご座、土星はてんびん座にあります。
60スター西洋占星術でいうと、太陽はおとめ座、月はてんびん座です。
これらからわかるように、毛沢東さんには水の要素がありません。
かなり、情性に問題があり、一言で言えば、冷酷な面があります。
また、ネイタルのかに座を助ける有力な星がないので、かに座時代は苦労することも分かります。
毛沢東さんはV=3.0で、ヒトラーやJ.F.Kなどと同じ、王のクラスです。
(図1)
2. 毛沢東さんのことは伝記も多いので、みんな各自で調べてね!
毛沢東さんは、大学にもゆかず、海外留学もしていませんが、共産党の活動家として数々の活動に参加し、国民党の上海クーデターの後、1927年に井崗山にこもり共産党の瑞金政府を建て(1927)世間にその名を知らしめます。
一番目の妻がいながら二番目の若い妻(賀子珍)とともにゲリラ戦を勇敢に行います。アセンダントのセクステル、月のトラインです。
(図2)
その後、1930年に一番目の妻(楊氏)を国民党に殺され、党内部では潜入した国民党のスパイを粛清します(AB団事件)。これらは土星のオッポジションです。
3. その後、並み居るインテリ指導層を押しのけ、1934年1月に党中央政治局委員となり、長征中の遵義会議(1935年1月)で党の主導権を握ります。
このときの毛沢東の太陽は、
3.0×41.1+♑6°=129.3°
シリウスのセクステルです。
遠い道のりが始まったのです。
(図3)
4. 党の主導権は握ったものの、国民党、日本軍との戦いでは苦労が続きます。長征中は太鼓の皮を食べたりして飢えをしのぎました。プログレッションの太陽がおうし座♉の時代は苦労の連続です。
その後、延安に政府を構え、プログレッションの太陽がふたご座に入ると、アヘンの権利を手に入れて延安の経済状態などは持ち直したものの(金星のトライン)、1945年8月、日本は降伏し、中国共産党は、アメリカをバックにする、圧倒的な物量差がある国民党と対峙することになります(アセンダントの合)。
5. しかし、毛沢東、朱徳、周恩来、劉少奇、鄧小平大王、林彪、陳雲、彭徳懐、などの怪物たちが集まった中国共産党は、負けることはありません。
実質的には蔣介石含め少数の指導者しかいなかった国民党に対し、各地で勢いを盛り返し、ついに、国共内戦は中国共産党の勝利となって、毛沢東は北京の天壇にのぼり、中華人民共和国の成立を宣言しました(1949年10月)
この時の毛沢東の太陽は、
55.8×3.0+♑6°=173.4° つまり、ふたご座の23.4度であり、ネイタルの土星のトラインとなります。ついに天壇に上ったのです。
(図4)
6. その後、毛沢東は、朝鮮戦争の停戦後は、疲弊した主に国内の産業育成に取り組み、1958年に大躍進運動を開始しますが、大量の餓死者が出て、1959年4月に政策の失敗を認めざるをえず、国家主席を劉少奇に譲ります。
8月には、廬山会議でついに党内部から批判をされます。
このときの毛沢東の太陽は、
62.66×3.0+♑6°=193° で、かに座の23°付近、ネイタルの土星とスクエアになりました。
これは、事実上の失脚と言ってよい配置です。
(図5)
7. 毛沢東は、自らが血を流して瑞金に建国した国家を、他の者が横取りしようとしていると少し被害妄想になりました。
しかも、相手は、劉少奇・鄧小平大王という、とても強力な実務ラインの後輩たちです。
しばらく、毛沢東は政治と距離を取りますが、作戦を練りに練ります。
...たぬちゃんは思うんですよ。
ここでやめておけば、毛沢東さんは、天が中国に遣わした偉大な神のようなものとして末永く伝説になっただろうと。
1962年、毛さんは自己批判を7000人もの党員の前でさせられています(7000人大会)。これを機に、一気に権力が公に実務ラインに移りました(太陽の150°)。
これを毛沢東さんにさせたのは、劉少奇さんの判断ミスだと思いますよ。このような屈辱をこの人に与えてはだめなのです。
8. 1964年、毛沢東さんは、林彪さんを味方につけて毛沢東語録を出版させます(アセンダントのセクステル)。民衆や軍人に対する広報活動ですね。
そして、1966年8月、「海瑞罷官」という作品が毛沢東さんを批判としているとして、民衆から指導部への批判というかたちで全国で闘争を開始します(文化大革命)。
この時の毛沢東さんの太陽は、
72.5歳×3.0+♑6°=224° つまり、しし座の14度付近で、民衆や家庭の星(☽)のコンジャンクションです。
あっというまにこの運動は、紅衛兵を通じて全国の学校、次いで家庭に広まり、中国は大混乱に陥ります。
(図6)
9. 奪権に成功した毛沢東は、その後、ついに劉少奇を殺し(1969年 土星のセクステル)、自分を支えてくれていた林彪さんをも追って(1971年夏 アルクトゥルスのセクステル)、完全な独裁体制を引きます。
10. こうして、しし座の時代についに実質的な皇帝に上り詰めた毛さんですが、あまりにたくさんの幹部を粛清したので、「軍を把握しつつ内政ができる実務家」が誰もいないという、人材不足状態になります。
そこで、次のおとめ座に入り、鄧小平大王を復活させ、周恩来を補佐させます。
そして、1972年、73年には、アメリカや日本と国交を回復し、多大な援助を外国から受ける体制を整えます(太陽のトライン 図7)。
最後には、毛沢東は誰も信じられなくなり、周恩来をも追い詰めて手術を受けさせないようにし、また、鄧小平大王を軟禁して失脚させます。
しかし、怪物も年齢には勝てず、1976年9月、ついに82歳で老衰して死亡します(アセンダントのスクエア)。
11. 毛沢東さんは英雄であるのは間違いないのですが、冷酷です。最後は国内がひどいことになりました。
しかし、このような人がいないと、あの当時、中国を欧米の支配から脱出させられなかったのも事実です。
"功績第一、誤り第二"
という鄧小平大王の毛沢東さんについての評は、的確だと思います。
さて、今日はここまで。長かったですね。
次回は不世出の大将軍、林彪さんです。
Tanu-chan💓 TOKYO-TANUKI💛
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