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138 未来予測の方法を知ろう ~60スター西洋占星術シーズン6の6 中東・アフリカ編   サダム・フセイン

60stars astrology

By Tokyo-Tanuki

60スター西洋占星術 シーズン6

日本語版











138  未来予測の方法を知ろう 

60スター西洋占星術シーズン6の6

中東・アフリカ編 サダム・フセイン



1. さて、今日は、イラクのサダム・フセインさんです。1937年4月28日生まれです。
その政治手法には毀誉褒貶があります。

しかし、フセインさんが、イラクを近代化し、国民生活を楽にしたことは間違いありません。

フセインさんの経歴には、一部わからないところがあるものの、概ねV=3.37/yearと見てよいです。
これは相当に強力で、同じ時代の世界の政治家の中でも大実力者の一人です。

フセインさんの出生時のホロスコープは図1のように推定されます。
太陽は60スター西洋占星術のおうし座~ふたご座の境目あたりにあると思われます。

実務的で雄弁、非常に頭の良い人です。
(図1)
















2. フセインさんは20歳のころからバアス党に入党して政治活動をおこない、22歳で亡命(アセンダントの150度)の後、プログレッションの太陽が獅子座に入ってすぐ、1963年のラマダーン革命後のころに、帰国して妻と結婚、そして25歳にしてバアス党の指導部のメンバーとして活動します(ネイタルの月及び土星のトライン)。

しかし、同年(1963)秋にバアス党はクーデターで政権を追われ、フセインさんは新大統領アーリフの暗殺を企てますが、失敗して投獄されます。(1964秋)

このときフセインさんは27歳です。このころ(27歳前後)のプログレッションの太陽は、
27歳×3.37+♉7°=97.9°
しし座の7度~8度付近であり、ネイタルの太陽とスクエアになります。
(図2)














しかし、フセインさんは、あきらめず脱獄し(1966)、1968年にはバアス党主導の7月17日革命により、中央の政治に戻ります。

このしし座♌の時代のフセインさんの運は非常に強く(土星、月、アセンダントの吉角)、中央に復帰するやバクル大統領の右腕の副大統領になり、治安機関と情報機関を主に編成します。

こうしてフセインさんは、自分のために恐るべき情報網を作り上げました。



3. その後、不満を持つシーア派によるフセインさんの暗殺未遂事件が起こるや(1973年6月)、フセインさんは反対派を一網打尽にして粛清し、党内の実権を握りました。
このときのフセインさんの太陽は、
36.2歳×3.37+♉7=128.9°
つまり、このあたりはおとめ座8~9度で、ネイタルの太陽とトライン、シリウスのセクステルです。
(図3)
















4. 1976年ころからバクル大統領はフセインさんらを退けシリアのアサド大統領と結ぼうとします。

しかし、フセインさんはこれに反撃し、親シリア派のクーデタ未遂として反フセインの幹部を一掃し、幹部を含む34人を処刑し、バクルを同1979年7月に引退させます(アルクトゥルスの150度、木星のトライン、水星のトライン)。

ちょうどそのころ、隣国でイスラム教シーア派によるイラン革命が発生し、これに対抗する欧米の後ろ盾を得て、フセインさんはイラン・イラク戦争を起こします(1980年8月)
このときのフセインさんの太陽は、
43.4歳×3.37+♉7°≒153度
つまり、てんびん座の3度付近で、土星のオッポジションです。
成算のある戦争ではありません。しかし、アメリカの後ろ盾を得てイランと戦争しないと、国内で失脚する恐れがあったのです。
(図4)
















5. イラン・イラク戦争は膠着し、フセインさんの思惑通りには進みませんでしたが、イラクは欧米の事実上の支援を受けて着実に力をつけ、1988年の停戦時には、世界第4位と言われる軍事国家に成長しました。

しかし、戦後復興の資金を稼ぐ必要があったところ、隣国クウェートは石油の価格調整を拒みました。

そこで、1990年9月、フセインさんは、クウェートに侵攻し、いわゆる湾岸戦争がはじまりました。

このときのフセインさんのプログレッションの太陽は、
53.4歳×3.37+♉7°≒187°
今度は権力の星、上位者を表す太陽☉とのオッポジションでした(図5)















この侵攻は欧米の反発を招き、翌年、アメリカを中心とする多国籍軍によるイラクへの猛攻がなされます。侵攻開始から半年もせずにイラクは事実上敗北し、国内ではクルド人の反乱が起きます。

フセイン政権は揺らぎますが、クルド人やシーア派など数十万人を粛清し、難を逃れました。

おそらくこのときは、フセインさんの人生の中盤で一番ピンチだったでしょう。


6. 長くなったので、後は省略しますが、後は皆さんで検討してくださいね。

ご存じのとおり、その後、2003年、大量破壊兵器を持っているとの事実無根の因縁をアメリカに付けられ、無理矢理、戦争をさせられます(イラク戦争 アセンダントのオッポジション)。

イラク軍は敗北し、フセインさんも同年12月に逮捕されます。

そして、2006年12月に処刑されます。
この処刑時のフセインさんのプログレッションの太陽は
69.7歳×3.37+♉7≒242度
土星のスクエアでした。
(図6)















フセインさんもかなり強権的で、政敵を無情に粛清していたことは間違いありません。
しかし、欧米諸国が、1980年代には散々フセインさんを利用しておいて、イラクが強大になり、都合が悪くなったのでフセインさんを殺したということもできるでしょう。

フセインさんを、欧米諸国が悪人呼ばわりするのは、少し変です。フセインさんは、ポル・ポトなどとは違います。
 

きょうはここまで。

次回は、アフリカ独立運動のリーダーの一人、ベン・ベラさんです。日本ではあまり知られていないので、みんな予習をしっかりね!














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