60stars astrology
By Tokyo-Tanuki
60スター西洋占星術 シーズン6
日本語版
141 6-7 インド・東南アジア編
チャンドラ・ボース
1.さて、6-7では、まず、インド又はその周辺からお二人を紹介しようと思っていますが、たくさんの有名人がいるので、なかなか難しいですね。
まず、今回は、インドから、悲運の指導者、チャンドラ・ボースさんを紹介しますね。
2. ボースさんは1897年1月23日に、法律家の家庭に生まれました。
ボースさんのネイタルのホロスコープは太陽がみずがめ座(60スター西洋占星術でもみずがめ座)にあり、コミュニケーション能力の発達した,時代の先取りをする精神にあふれていることを示します。
また、月は60スター西洋占星術のおうし座にあり、少し、坊っちゃん気質です。
土星・天王星と月は概ね60度の関係にあり、太陽と月もぎりぎりトラインの関係にあります。
これは、運が良いときは連続して良い角度が巡るので実力以上に評価され、悪いときは、結構続けて辛い目に遭う可能性があることを示します。
このような配置の方は、基本は恵まれているので、運が良いときは自分を過信をしないこと、威張らないこと、悪いときは耐えることを心がけた方が良いです。
ボースさんは、V=4.25です。
(図1)
3. ボースさんは1916年2月に最初の試練を受けます。真偽は不明ですが、ボースさんが名門カルカッタ大学の先生を突き飛ばしたということで、大学がボースさんを退学処分にしたのです。
退学処分は翌年の1917年7月まで続き、ボースさんは他の大学に転校させられます。
この事件の時(19歳)のボースさんのプログレッションの太陽は、
19.1×4.25+♒4°≓85°つまり、おひつじ座の25度付近になります(図2)。
ここから、アルクトゥルスのオッポジション、土星と月のセミセクステル、太陽のスクエアを受けるので、2年半くらいは運が悪いことになります。
(図2)
退学処分は翌年の1917年7月まで続き、ボースさんは他の大学に転校させられます。
この事件の時(19歳)のボースさんのプログレッションの太陽は、
19.1×4.25+♒4°≓85°つまり、おひつじ座の25度付近になります(図2)。
ここから、アルクトゥルスのオッポジション、土星と月のセミセクステル、太陽のスクエアを受けるので、2年半くらいは運が悪いことになります。
(図2)
4. しかし、ボースさんは勉強に励み、1918年にはカルカッタ大学でも2位に当たる成績を取って哲学の学士となり 2年後には国家公務員の試験に優秀な成績でパスして、出世の入口に立ちました。
しかし、彼は、この道を捨て、1921年、24歳にして国民会議派に属します。
若いにもかかわらずガンジーを批判したりしますが、ガンジーはボースに新聞などの広報活動を行なわせます。
こうして、ボースさんは弁舌で頭角をあらわし、1923年にはインド青年会議議長となり、翌年には巨大都市カルカッタ市の公社の代表として市政に参画しますが、デモに関与して逮捕されます(27歳)。
27歳の時のボースさんのプログレッションの太陽は、
27×4.25+♒4°≓119°で、牡牛座の29度付近となり、土星のオッポジション、月のトライン、その後、太陽のトラインとなります。1925年にはマンダレーの刑務所に送られますが、ボースさんの名声は一気に高まります。
(図3)
27×4.25+♒4°≓119°で、牡牛座の29度付近となり、土星のオッポジション、月のトライン、その後、太陽のトラインとなります。1925年にはマンダレーの刑務所に送られますが、ボースさんの名声は一気に高まります。
(図3)
5. 1927年に出所したボースさんは、なんと、ネルーと並ぶ若手指導者と目され、ヨーロッパ旅行により見聞や人脈を広げます。
1935年にロンドンで出版した「The Indian Struggle」は、発禁処分となりましたが、ボースの名声は国際的なものになります。
ここでね、たぬちゃんはね、ボースさんは少し調子に乗ってしまったと思うんですよ。
6. ボースさんは帰国し、1938年には議会議長に就任し、ガンジーと対立し、翌年、ガンジーが立てた対抗馬すら破ります。
議長就任時、ボースさんは41歳でした。
41歳の時の時のプログレッションの太陽は、
41×4.25+♒4°≓179° つまり、かに座の29°からしし座0度付近にあり、ネイタルの土星のトライン、月のセクステルになります。
(図4)
7. しかし、偉人ガンジーを相手にここまでやってしまったボースさんへの反動はすごく、1939年半ばにはガンジー派の工作により議会議長を辞任せざるを得ず(太陽のオッポジション)、ボースは国民会議派から除名されます。
ここで、しばらくおとなしく我慢しておけば良かったのですが、1941年、突然、ボースは、建設技術者の一団を装ってソ連経由でナチスドイツに逃亡します。火星はセクステルでしたが、アセンダントのオッポジションです。
8. その後、1943年にボースさんは東南アジアに向かい、日本の支援を受けてインド国民軍として亡命インド政府を立てます。
枢軸国の敗色が明らかになると、ボースさんは追い詰められ、拠点のラングーン陥落後、今度はソ連に渡ることを計画します。
しかし、1945年8月、台湾から飛び立つ予定であった飛行機は離陸に失敗し、ボースさんは死亡します。
このときのボースのプログレッションの太陽は、
48.5×4.25+♒10≓210度で、さそり座の土星と天王星とのスクエアにあります。
飛行機(♅)での事故(♄)というのは暗示されており、どうしてもソ連に行きたいなら船を使うべきでした。
非常に波乱に富んだ生涯でした。
ボースさんは、人に対してもう少しやわらかく応対ができれば、もっともっと可能性があった人でした。
ボースさんは、人に対してもう少しやわらかく応対ができれば、もっともっと可能性があった人でした。
きょうはここまで。
さて、次回はベトナムの偉大な指導者、ホー・チ・ミンさんですよ!
TANU-CHAN💓 TOKYO-TANUKI💛
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