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137 未来予測の方法を知ろう ~60スター西洋占星術シーズン6の6 中東・アフリカ編   G.A.ナセル その 2

60stars astrology

By Tokyo-Tanuki

60スター西洋占星術 シーズン6

日本語版









137  未来予測の方法を知ろう ~シーズン6の6 中東・アフリカ編     

G.A.ナセル その 2


1.  さて、ナセルさんの続きです。
最初のクーデター計画(1942年)が未然に失敗してしまい、しばらくおとなしくしていたナセルさんですが、1948年半ばに第一次中東戦争がはじまると参謀として現場を指揮します。腹部に銃創を負いながらもファルージャの戦いで勇名をはせます。

そして、1950年、自由将校団の長に就任します。
このときのナセルさんのプログレッションの太陽は、
32歳×V(3.75/year)+♑24≒120度
太陽のトラインですね。
(図1)
















2.  そして、1952年から政府幹部の暗殺計画に乗り出し、1952年7月、自由将校団はクーデターを起こし国王を追放します(エジプト革命)

このころ34歳のナセルさんのプログレッションの太陽は、
34歳×3.75+♑24度≒151.5度
つまり、ふたご座の1°~2°付近で、戦いの星である火星とトライン、拡大の星木星とコンジャンクションなります。
(図2)















3.  エジプト革命では、当初、名前の知られたナギブさんをトップとしていましたが、次第にナセルさんとナギブさんの溝は深まり、1954年11月、ナセルさんはナギブさんを解任して首相に就任します(土星のセクステル)。

しかし、ナギブさんの人気が高いので、いったん首相をナギブさんに戻し、地ならしをしたうえで、2年後の1956年6月、ようやく自ら大統領に就任し、スエズ運河の国有化を宣言し、スエズ戦争が勃発します。

この時のナセルさんのプログレッションの太陽は、
38.5歳×3.75+♑24≒168度
つまり、ふたご座の18度でM.C.のトラインです。
(図3)















M.C.のトラインは風の作用、つまり、交通手段そのもの(運河)のほか、外交の手腕を示します。

ナセルさんはスエズ戦争で連敗しつつも、国際世論を味方につけ、イスラエルを撤兵させることに成功します。



4. その後、ナセルさんは、1958年にはアラブ連合共和国を建国し、初代大統領になります。
共和国の中身はうまく伴わなかったのですが、ナセルさんはアラブ解放の英雄として世界にその名を確実にします(月のトライン、太陽の150度)。
しかし、ナセルさんのプログレッションの太陽がかに座に入ってからは(1959年)、あまり物事がうまくゆかなくなり、アラファトさんが起こしたサム事件(1966年)から地域の緊張が高まりナセルさんは数度の心臓発作を起こします(☉のオッポジション)。

やむに已まれず、1967年には第三次中東戦争がはじまります。しかし、ナセルさんはイスラエルに惨敗します。
この時のナセルさんのプログレッションの太陽は、
49歳×3.75+♑24≒207.7°
かに座の27.7度で、アセンダントの150度、アルクトゥルスのスクエアですね。
アルクトゥルスが戦争を示すこと、この角度が悪いと戦争に負けることが分かります。
(図4)















しかし、土星のスクエアではないので、ナセルさんは失脚は免れました。
本当は大統領辞任を宣言したのですが、国民の人気が高く、やめられなかったのです。


5. ナセルさんのプログレッションの太陽は厄介なかに座を過ぎ、しし座に進行を始めます(1968~)。

ナセルさんは第三次中東戦争で壊滅しかかっていたエジプト軍の再建を進めますが、ストレスが長い間に蓄積したのでしょう、1970年9月、心臓発作で亡くなります。

葬儀には世界から500万人が駆け付けました。

この時のナセルさんのプログレッションの太陽は、
52.8歳×3.75+♑24≒222度
つまり、しし座の12度にあって、土星と正確な合を作ります。
(図5)
















土星のコンジャンクションはやはり悪いことが多いのですが、スクエア(失脚)とは違います。

ナセルさんは、政治生活の後半は相当苦労されましたが、若いころの思い切りの良さ、活躍ぶりは素晴らしく、とてもかっこいいのです。

そして、アラブの英雄として伝説になられたのです。



今日はここまで
次回は、サダム・フセインさんです。
みんな予習してね!















Tanu-chan💓 TOKYO-TANUKI💛

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