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93 未来を知ることについて その5   N.フルシチョフ のホロスコープを読もう!  60スター西洋占星術(シーズン5)

60stars astrology

By Tokyo-Tanuki

60スター西洋占星術 シーズン5

日本語版














93 未来を知ること(プログレッション)について 

その5 フルシチョフのホロスコープを読もう!

~60スター西洋占星術(シーズン5)


1. さて、ニキータ・フルシチョフさんです。
まあ、大体、V=3.77°/yearですね。
年配の人にはなじみがあるでしょうが、若い人は知らないかもですね。

ちょっと禿げた、面白い顔の、陽気な感じの人です。
スターリンの死後、ソ連のトップに立ちました。

10年足らずで失脚しましたが、失脚しても、アパートで普通に過ごしていたという、なんというか、不思議な人です。
ネイタルのホロスコープを見てみましょう。
(図1)














太陽と土星がほぼオッポジッションなので、実は慎重な性格であること、おひつじ座の25度の太陽は60スター西洋占星術で見るとうお座の最後の方であって、結構庶民的な人だということ、ASCがしし座16度で押し出しが派手なこと、月の位置が良く(太陽や土星と良いアスペクト)、ちょっと憎めない雰囲気を持っていることが分かります。

「失脚=死」を意味したソ連で生きながらえたのは、この性格もあるでしょう。


2. フルシチョフさんは炭鉱夫の家に生まれ、15歳からは工場で働き始めました。1918年に共産党に入りますが、出世の糸口は、1925年31歳の時、共産党の専従となり、のちに自らが失脚させる大幹部カガノービッチ(息子がスターリンの娘と結婚するほど親密)の目に留まったことでした。

この時のフルシチョフのプログレッションの太陽は、
V(3.77)×31歳+25度=141.8度 
つまり、しし座の21度です(図2)。
権力の星♄(♎21)がセクステルになります。
(以前と同様、ネイタルの太陽はピンク色、プログレッションの太陽はブルーで示しています。)
(図2)















3. その後、精力的な働きぶりが認められ、37歳の時、モスクワ地下鉄建設の成功によりレーニン勲章を与えられ、スターリンの目に留まります。

このときは、
V(3.77)×37歳+25度=164.5度です。
つまりおとめ座の14度で、天王星(♏14度)のセクステルです。
交通機関建設による大抜擢ですね。
(図3)














4.乙女座を過ぎ、フルシチョフの太陽はてんびん座に入ります。
ネイタルチャートを見ればわかりますが、フルシチョフはてんびん座に土星(コンジャンクション)、おひつじ座に太陽があり(オッポジション)、この時代、強烈なプレッシャーにさらされることが分かります(スターリンによる大粛清の時代
しかし、天はフルシチョフを昇進させ、1941年冬から独ソ戦が始まると、最前線のウクライナに立たされます。

この時の彼のプログレッションの太陽は、
V(3.77)×47.66歳+25度=204.6度 
つまり、てんびん座の24.6度です。
フルシチョフは、ヒトラーの正面に立ったのです。太陽のオッポジッションです。
(図4)














翌年のスターリングラード攻防戦では彼のプログレッションの太陽はてんびん座の27度でアークトゥルスと会合し、軍と暴力の時代を過ごしました。
(図5)














5. フルシチョフは、戦後、ちょっと仕事を解任されたり、地味な活動をしていましたが、1953年、あの巨大な大王、スターリンが死にます。

このとき、フルシチョフの太陽はいて座の8度にあり、相当にびっくりしたでしょうが、何か積極的にやったようには思われません。

死後、ベリヤとマレンコフ、フルシチョフが後継と見られましたが、ベリヤは怖すぎるので、また、ベリヤにはおそらく別の疑惑があったので、1953年の12月、みんなで話し合って殺したようです。
フルシチョフの太陽を見ると、冥王星と海王星のオッポジッション、シリウスのセミセクステル。金星のスクエアです。
これは密室での謀議であること、フルシチョフは、ほっとしたとしても、個人的には、ちょっとベリヤをあわれに思ったであろうことを示しているように感じられます。たぬちゃんの感想ですけどね。



6.その後、フルシチョフは、仲間内での地位を挙げ、党の第一人者と目されることになり、1956年6月に有名な「スターリン批判」が出ます。

この時の彼ののプログレッションの太陽は、
V(3.77)×62.33歳+25度≒260度 
つまり、いて座20度にあり、てんびん座の土星のセクステルになります。

世界に衝撃を与えると同時に、ソ連の第一人者が自分であることを示したのでした。
(図6)














7. その翌年、フルシチョフは太陽の240度(いて座25度)で反対派を失脚させ、文字通りのトップ(第1書記に就任)に立ちました。
(図7)














8. その後、フルシチョフは1964年10月に失脚します。

この時の彼のプログレッションの太陽は
V(3.77)×70.5歳+25度=290.7度 
これはやぎ座の20.7度で、てんびん座の土星(21度)のスクエアになります(図8)。
このように、土星の力は、権力者には一番重要なのです。
(図8)













9. フルシチョフの面白いところは、その後、1966年までは党中央委員会のメンバーであり、その後はモスクワのアパートで質素な引退生活をしたことです。

フルシチョフはなるべく人を殺さなかったので、フルシチョフも殺されなかったのでしょう。1971年9月、フルシチョフは病気で亡くなります(アセンダントのオッポジション)。



さて、駆け足でしたが、とても長くなりましたので、今日はここまで



次回は少し解説を入れますね。
W・チャーチルについては、そのあとで解説しますね。



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