60stars astrology
By Tokyo-Tanuki
60スター西洋占星術 シーズン5
日本語版
85 未来を知ること(プログレッション)について
その2ナポレオンのホロスコープを読もう!その1
~60スター西洋占星術(シーズン5)
1. では、今日は、フランスのナポレオン・ボナパルトさんのプログレッションについて説明します。昔の人なので、とくに誰からも文句はでないでしょう。
2. ナポレオンの出生図は下に書いたとおりです(図1)。今回は、最初なので、アセンダントとMCを入れておきますね。いつもの10惑星の外、シリウスは☆、アルクトゥルスは★、銀河中心は✪と入れておきます。ケレスとアルファ・ケンタウリ入れなくていいでしょう。そこまで細かい話はしないので。ネイタルの太陽はピンク色です(しし座22度)。
(図1)
3. ナポレオンはコルシカ島の出身で、貴族と言っても貧乏です。
コルシカで一族は有力者パオリと争い追い出されましたが、23歳の時(1792)、フランスの権力者ジャコバン派の後ろ盾で、コルシカの反革命派であったパオリと争います。
そして、翌年はじめには、国民公会(政府)からパオリの逮捕命令が出るのです。また、その年、トゥーロン港包囲戦で戦果をあげ、ナポレオンは少佐にすすみます。
このとき、ナポレオンのプログレッションの太陽(水色にしてあります。)は、
V(3.6度)×23歳+22(ネイタルの太陽しし座22度)=104.8度
すなわち、さそり座14.8度で木星(権威と合法性)と会合します。
このとき、ナポレオンのプログレッションの太陽(水色にしてあります。)は、
V(3.6度)×23歳+22(ネイタルの太陽しし座22度)=104.8度
すなわち、さそり座14.8度で木星(権威と合法性)と会合します。
(図1)
4. その後が、ご存じのとおり、テルミドール反動が起こり(1794年7月)、ナポレオンはちょうど25歳のころにロベスピエール一味として投獄されます。
このとき、ナポレオンのプログレッションの太陽は、
V(3,6度)×25歳ちょうど+22度(ネイタルのしし座の太陽の度数)=112度
すなわち、さそり座22度となって、ネイタルの太陽と正確な90度を形成します。太陽の意味は権力ですから、まあ、こんな感じになっちゃいますね。
このとき、ナポレオンのプログレッションの太陽は、
V(3,6度)×25歳ちょうど+22度(ネイタルのしし座の太陽の度数)=112度
すなわち、さそり座22度となって、ネイタルの太陽と正確な90度を形成します。太陽の意味は権力ですから、まあ、こんな感じになっちゃいますね。
太陽の凶角で捕まる人は、結構多いのですよ。チャーチルとか。田中角栄さんとか。
5.さて、失脚したナポレオンですが、総裁政府の統制は弱く、1795年には王党派の反乱が起きます(ヴァンデミエール反乱)。
そこで、政府の高官バラスが、戦場にナポレオンを投入したところ、ナポレオンは圧勝し、ヴァンデミエール将軍として、いきなりフランス史の表舞台に飛び出します。
そこで、政府の高官バラスが、戦場にナポレオンを投入したところ、ナポレオンは圧勝し、ヴァンデミエール将軍として、いきなりフランス史の表舞台に飛び出します。
このときのナポレオンのプログレッションの太陽は、
V(3.6度)×26歳+22度=115.6度
すなわち、さそり座の25.6度で、かに座の土星とトラインになります。そうです、これが、おそるべき土星の力なのです。
(図4)
6.その後、1796年、27歳(さそり座27度~28度)で、ナポレオンは妻(月)ジョセフィーヌを手に入れ(やぎ座のネイタル月の60度 図5)、あっという間に連戦連勝の人気者になり、パリへ熱狂の内に凱旋して総裁政府の総裁となったバラスの右腕になります。この辺のホロスコープを示しますね。
(図5)
(図5)
7. さて、ナポレオンはいて座の時代に突入し、1798年にエジプト遠征をしてロゼッタトーンを持ち帰ります。このときのナポレオンの太陽は、
V(3.6度)×29歳+22度=126.4度
V(3.6度)×29歳+22度=126.4度
8. ナポレオンはこのように有名になり、権力者になりつつありましたが、権力を握る直接の契機は、1799年冬のブリュメールのクーデタです。
これによってナポレオンは第1執政になっていますが、このクーデタは事前に成算が余りなく、ナポレオンは、失敗すれば処刑確実でした。
このとき、ナポレオンは、びびりまくったと思われます。
しかし、このとき、ナポレオンは敵前逃亡の嫌疑をかけられており、シェイエスの誘いに乗って前に進むしかなかったのです。
これによってナポレオンは第1執政になっていますが、このクーデタは事前に成算が余りなく、ナポレオンは、失敗すれば処刑確実でした。
このとき、ナポレオンは、びびりまくったと思われます。
しかし、このとき、ナポレオンは敵前逃亡の嫌疑をかけられており、シェイエスの誘いに乗って前に進むしかなかったのです。
このときのナポレオンの太陽は、
V(3.6度)×30.4歳+22度=131.5度です。
つまり、いて座の11度~12度付近なのですが、革命の星である天王星の150度,戦いの星である火星の90度になっています。図7のとおりです。ナポレオンに成算がなかったことがよく分かります。
(図7)
(図7)
出生図のいて座全体の状況が良いので(いて座に対して太陽やMCのトラインがあり、土星や月、ASC等の目立った悪いアスペクトがないこと)、シェイエスに協力するかたちでクーデターは何とか成功しました。しかし、まだ、この段階では、ナポレオンは第一人者ではありません。
さて、ナポレオンの後半生は、次回にしますね。
それではきょうはここまで
TANU-CHAN💓 TOKYO-TANUKI💛
コメント
コメントを投稿