60stars astrology
By Tokyo-Tanuki
60スター西洋占星術 シーズン6
日本語版
128 未来予測の方法を知ろう
60スター西洋占星術シーズン6‐4 中南米編
S.ボリバル
1. さて、今日は、ラテンアメリカの英雄、シモン・ボリバルさんを紹介します。
シモンさんは1783年の7月24日生まれ、とても情熱的なイメージの方です。
ネイタルのチャートは図1のとおりで、太陽はしし座、アセンダントはおひつじ座、土星はやぎ座にあります。
なので、プログレッションでは火の星座の時が運勢がだいたい良く、活動宮の時は困難が生じると読めます。
シモンさんのお名前は、日本でも大変有名で、高校生の世界史の試験にもよく出ます。
2. シモンさんはv=3.27、非常に力が強い方です。
南米有数の資産家ボリバル家の息子として高い教育を受けますが、スペイン遊学中にマリアさんと情熱的に結ばれ、1802年にベネズエラに帰国します。
しかし、マリアさんは、翌年、黄熱病でなくなり、シモンさんは全く気落ちしてしまいます。
このあと再婚することはなかったのです。
このとき(1803年 20歳)の時のシモンさんのプログレッションの太陽は、
3.27×20歳+♌1度=66.4度、つまり、てんびん座の6.4度で、ネイタルの土星とスクエアになります。その後、火星やシリウスとも凶角になりますね。
このとき(1803年 20歳)の時のシモンさんのプログレッションの太陽は、
3.27×20歳+♌1度=66.4度、つまり、てんびん座の6.4度で、ネイタルの土星とスクエアになります。その後、火星やシリウスとも凶角になりますね。
これは、最愛の身内との悲劇的な別れにより、とても深い悲しみを味わったことを示します。
3. その後、シモンさんはベネズエラ独立運動に参加しますが、ベネズエラはいったん独立を宣言したものの、1811年7月にはシモンさんの守る要塞も落とされ、1812年7月にはカラカスはスペインに占領されます。
シモンさんのネイタルの太陽のスクエアです。
4. しかし、シモンさんは、翌年1813年から、独立軍のベネズエラ侵攻の指揮を執り、優れた機動力で8月にカラカスを奪回、ベネズエラ第二共和国の成立を宣言します。
この時のシモンさんの太陽は、
3.27×30.1歳+♌1度=99.4度 つまり、さそり座の9度で、土星のセクステル、シリウスのトラインです。
この時のシモンさんの太陽は、
3.27×30.1歳+♌1度=99.4度 つまり、さそり座の9度で、土星のセクステル、シリウスのトラインです。
5. しかし、スペイン軍は強く、独立軍は撃破されてゆき、その2年後にはシモンさんはジャマイカへと亡命します。
シモンさんは、1816年にはベネズエラに再上陸をするものの、ボリバル軍とスペイン軍との攻防は一進一退を繰り返します。
シモンさんは、1816年にはベネズエラに再上陸をするものの、ボリバル軍とスペイン軍との攻防は一進一退を繰り返します。
やっと3年後、シモンさんは、休戦期間中の1820年後半から攻勢に転じ、ボヤカの戦いで勝利し、ついでカラカスを奪回して、議会より初代コロンビア大統領に指名されます(1821年5月)。
この一連の勝利(1820~21)の時のシモンさんのプログレッションの太陽は、
3.27×37.5歳+♌1度≒いて3度、太陽のトラインですね。
(図5)
5. その後は本領発揮となり(ネイタルの火星)、1823年には王党派の牙城ペルーへと進み、リマでスペイン軍と対峙し、1824年2月にはペルーの大統領に就任します。
この快進撃の時のシモンさんの太陽は、
3.27×40.5歳+♌1度=133.4度 つまり、いて座の13度付近にあり、アセンダントのトラインです(図6)。
その後、ボリバルさんは病に倒れますが(ネイタルの月のオッポジション)、部下である総司令官スクレががんばり、翌1825年にペルー解放戦争は終わります。
この快進撃の時のシモンさんの太陽は、
3.27×40.5歳+♌1度=133.4度 つまり、いて座の13度付近にあり、アセンダントのトラインです(図6)。
その後、ボリバルさんは病に倒れますが(ネイタルの月のオッポジション)、部下である総司令官スクレががんばり、翌1825年にペルー解放戦争は終わります。
(図6)
同年8月、議会は、国名をシモンの名前をとってボリビアとし、首都を総司令官の名前をとってスクレにします。
シモンさんはボリビア大統領になり、ボリビア、ペルーと大コロンビア三国の大統領を兼任します。
このころがシモンさんの絶頂期です。
6 しかし、相次ぐ戦いで国内は疲弊しており、シモンさんは1828年8月に独裁権を握ろうとするものの、うまくゆかず、1929年に入ってからは各地で反乱がおきます。
1929年1月ころのシモンさんのプログレッションの太陽は、
3.27×45.5+♌1度≒150度、つまり、ネイタルの太陽はついにやぎ座(活動宮)に進行を開始します。不運の開始です。
このころがシモンさんの絶頂期です。
6 しかし、相次ぐ戦いで国内は疲弊しており、シモンさんは1828年8月に独裁権を握ろうとするものの、うまくゆかず、1929年に入ってからは各地で反乱がおきます。
1929年1月ころのシモンさんのプログレッションの太陽は、
3.27×45.5+♌1度≒150度、つまり、ネイタルの太陽はついにやぎ座(活動宮)に進行を開始します。不運の開始です。
7. その後は、あっという間に敗戦が続き、1830年12月、ついに、ボリバルさんは亡くなります。
この時のプログレッションの太陽は、
3.27×47.42+♌1度≒157度
つまり、やぎ座7度で、ネイタルの土星のコンジャンクション、火星のスクエアでした。
この時のプログレッションの太陽は、
3.27×47.42+♌1度≒157度
つまり、やぎ座7度で、ネイタルの土星のコンジャンクション、火星のスクエアでした。
ボリバルさんはすべてを革命に投じたので、ボリバル家の家産も完全に潰えました。
しかし、ラテンアメリカでは、シモン・ボリバルさんは
「解放者 EL LIBERTADOR」
として、今でも皆にその勇気を語り継がれる伝説の人となったのです。
今日はここまで
Tanu-chan💓 TOKYO-TANUKI💛
🌟 🌟 🌟 🌟
さて、次回は、ブラジリアを建設したブラジルの元大統領、J. クビチェックさんです。
一般に、首都の建設者は、とても力が強いのです。
各自、そのスピード(V)を計算しておいてね!
(図)
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